西丹沢、幻の道を探る 序
2011.12.05
「いざなぎ景気」と呼ばれた戦後3度目の好景気に突入した時代だった。
働くこと生きることで精一杯だった時代から、だんだんと余暇を楽しむ余裕もできてきた頃だった。
当時登山をやらないアウトドアな人達は、キャンプが最も人気のある余暇だった。
我家でも南極観測隊が使うような帆布でできたテントに、飯ごうなどをそろえ、まい夏キャンプにくりだした。

働くこと生きることで精一杯だった時代から、だんだんと余暇を楽しむ余裕もできてきた頃だった。
当時登山をやらないアウトドアな人達は、キャンプが最も人気のある余暇だった。
我家でも南極観測隊が使うような帆布でできたテントに、飯ごうなどをそろえ、まい夏キャンプにくりだした。

そんな夏、山中湖の平野の西側にあるみさきキャンプ場でキャンプを楽しんだ後、
父が「平野から世附に抜ける道が出来たからそこから帰る」と。
富士五湖でキャンプをした帰りは、平野~R413号~篭坂峠~R138号~駿河小山~R246号というのが通常のルートで
R246号のバイバスはまだ完成しておらず、東名高速は部分部分のみの完成だった。
道は平野からゆるゆると一気に登って行くと峠であった。
いままでは篭坂峠や駿河小山をぐるっと回って、やっと戻ってきたと思った丹沢が
存外その峠の先に広がっていることが不思議でならなかった。
植林のために見晴らす限り伐採されつくした裸の山々は、ぽこりと丸くて低かった。
峠からダートをしばらく下ると右手の沢を見ながらさらに下っていく。
途中で一本枝道を分けたような記憶が。。。
ダートの道がきつくて、早く国道に出たいと後部座席で妹と願った。
もうすぐ浅瀬の集落というところで、やっと休憩となり、多分悪沢の出合あたりでそうめんをゆでて昼食にした。
三保ダムはまだ着工しておらず、当然丹沢湖は影も形もない。
そんな一夏の思い出だった。
長じて自分が丹沢、そして世附の界隈にまた出没しようなどとは夢にも思わなかったが、不思議な因果だ。
時を経て子供の頃通り抜けた平野から世附の道が気になって仕方がない。
植林の為の林道を一時的に一般にも供用したものだろうくらいに思っていたが、
いろいろと調べるうちにこの路線がりっぱな県道だということがわかった。
その名は
神奈川県道・山梨県道729号山北山中湖線
ウィキペディアによると
神奈川県道・山梨県道729号山北山中湖線(かながわけんどう・やまなしけんどう729ごう やまきたやまなかこせん)は、神奈川県足柄上郡山北町と山梨県南都留郡山中湖村を結ぶ一般県道である。丹沢湖と山中湖を結ぶルートであるが、途中の県境区間は通り抜け不能となっており、事実上神奈川県と山梨県で別個に存在している。神奈川県区間は丹沢湖への流入河川である世附川を遡るルートであり、山梨県区間は山中湖北岸を通る主要道路となっている。また浅瀬のゲート付近には民家が存在する。
!!!
更に接続する道路として、平野から三国峠を越え静岡県の生土に通じる県道730号と、はっきりと区別している。

gogle地図 クリックOK
地図上の【本谷】の記述場所は、大棚橋だろう。大棚橋からは左手に、水の木幹線林道が右手には大棚沢林道が分かれる。
もしや子供の頃車で通り抜けた幻の峠ルートがあったのでは。
どきどき。。。
(ってか、おまえはヨッキれんか)
つづく
父が「平野から世附に抜ける道が出来たからそこから帰る」と。
富士五湖でキャンプをした帰りは、平野~R413号~篭坂峠~R138号~駿河小山~R246号というのが通常のルートで
R246号のバイバスはまだ完成しておらず、東名高速は部分部分のみの完成だった。
道は平野からゆるゆると一気に登って行くと峠であった。
いままでは篭坂峠や駿河小山をぐるっと回って、やっと戻ってきたと思った丹沢が
存外その峠の先に広がっていることが不思議でならなかった。
植林のために見晴らす限り伐採されつくした裸の山々は、ぽこりと丸くて低かった。
峠からダートをしばらく下ると右手の沢を見ながらさらに下っていく。
途中で一本枝道を分けたような記憶が。。。
ダートの道がきつくて、早く国道に出たいと後部座席で妹と願った。
もうすぐ浅瀬の集落というところで、やっと休憩となり、多分悪沢の出合あたりでそうめんをゆでて昼食にした。
三保ダムはまだ着工しておらず、当然丹沢湖は影も形もない。
そんな一夏の思い出だった。
長じて自分が丹沢、そして世附の界隈にまた出没しようなどとは夢にも思わなかったが、不思議な因果だ。
時を経て子供の頃通り抜けた平野から世附の道が気になって仕方がない。
植林の為の林道を一時的に一般にも供用したものだろうくらいに思っていたが、
いろいろと調べるうちにこの路線がりっぱな県道だということがわかった。
その名は
神奈川県道・山梨県道729号山北山中湖線
ウィキペディアによると
神奈川県道・山梨県道729号山北山中湖線(かながわけんどう・やまなしけんどう729ごう やまきたやまなかこせん)は、神奈川県足柄上郡山北町と山梨県南都留郡山中湖村を結ぶ一般県道である。丹沢湖と山中湖を結ぶルートであるが、途中の県境区間は通り抜け不能となっており、事実上神奈川県と山梨県で別個に存在している。神奈川県区間は丹沢湖への流入河川である世附川を遡るルートであり、山梨県区間は山中湖北岸を通る主要道路となっている。また浅瀬のゲート付近には民家が存在する。
!!!
更に接続する道路として、平野から三国峠を越え静岡県の生土に通じる県道730号と、はっきりと区別している。

gogle地図 クリックOK
地図上の【本谷】の記述場所は、大棚橋だろう。大棚橋からは左手に、水の木幹線林道が右手には大棚沢林道が分かれる。
もしや子供の頃車で通り抜けた幻の峠ルートがあったのでは。
どきどき。。。
(ってか、おまえはヨッキれんか)
つづく
Comment
- 食う寝るさんだ~す
え~?
ぜぜさんの時代で東名とか246出来てなかったの?
へ~って驚きだよ(・∀・)
似たような世代なのにね~(超サービスしとく)
そんで、布製のテントってのにも更に驚き!
そんな最近まであったんだね~
ぜぜさんの時代で東名とか246出来てなかったの?
へ~って驚きだよ(・∀・)
似たような世代なのにね~(超サービスしとく)
そんで、布製のテントってのにも更に驚き!
そんな最近まであったんだね~
2011.12.05 Mon 18:09 URL [ Edit ]
- ぜいぜい
☆食うちゃん
246はとっくの昔からあったよ。山北から御殿場までのバイバスがなかったの。
東名高速だって世銀から借入して造ったんだもん、まだまだ当時は発展途上国だったんだよなあ。
高速道路網ってさ、あれよあれよという間にできたイメージだよ。
角栄さんの力だったんだろうね~
>布製のテント
朝になると自重で真ん中がたわんじゃって、使い勝手は悪かったですよ。
多分、ナイロンのも後には売ってたかもだったけど、年に一回しか使わないものに、お金はかけられなかったのでしょう。
丸めるとリュックくらいあって今思うと笑えるよ。
シュラフじゃなくて毛の毛布もってったし。。。
以上、母から聞いた話です(爆
246はとっくの昔からあったよ。山北から御殿場までのバイバスがなかったの。
東名高速だって世銀から借入して造ったんだもん、まだまだ当時は発展途上国だったんだよなあ。
高速道路網ってさ、あれよあれよという間にできたイメージだよ。
角栄さんの力だったんだろうね~
>布製のテント
朝になると自重で真ん中がたわんじゃって、使い勝手は悪かったですよ。
多分、ナイロンのも後には売ってたかもだったけど、年に一回しか使わないものに、お金はかけられなかったのでしょう。
丸めるとリュックくらいあって今思うと笑えるよ。
シュラフじゃなくて毛の毛布もってったし。。。
以上、母から聞いた話です(爆
- yamaneko
お早うございます
太平洋から日本海歩行の時
駿河小山駅から不老山を目指したがずっと道路を歩
きました。不老山には、辿りつけず 以前 師匠に
連れてこられた左 湯舟山 右 不老山の分岐に
出た ここまでの間 幅の広い道路でした
時間 節約のため 不老山には行かず
湯舟山 明神峠 三国山 三国峠の鉄砲の頭に
テントを張り 翌日 弧も吊るし山を超え 畦ヶ丸
西丹沢自然教室からブナの湯までロングを歩いた
懐かしい道ですね
太平洋から日本海歩行の時
駿河小山駅から不老山を目指したがずっと道路を歩
きました。不老山には、辿りつけず 以前 師匠に
連れてこられた左 湯舟山 右 不老山の分岐に
出た ここまでの間 幅の広い道路でした
時間 節約のため 不老山には行かず
湯舟山 明神峠 三国山 三国峠の鉄砲の頭に
テントを張り 翌日 弧も吊るし山を超え 畦ヶ丸
西丹沢自然教室からブナの湯までロングを歩いた
懐かしい道ですね
2011.12.06 Tue 08:42 URL [ Edit ]
- ぜいぜい
☆yamanekoさん
私も浅瀬からですが、静岡、山梨と神奈川の国境稜線ぐるリップは2度やってます。
ミツバツツジの時期と霧氷の時期でしたが、どちらもよかったです。
静かでいい尾根ですね。
私も浅瀬からですが、静岡、山梨と神奈川の国境稜線ぐるリップは2度やってます。
ミツバツツジの時期と霧氷の時期でしたが、どちらもよかったです。
静かでいい尾根ですね。
- おくがけど
今から50年も昔のこと書かれてもピンとこないや・・・
2011.12.06 Tue 21:45 URL [ Edit ]
- ぜいぜい
☆おくがけちゃん
どこが50年やねん、40数年や。
その当時の車道はどこだったかいなあというロマンを求める歩きなんよ。
どこが50年やねん、40数年や。
その当時の車道はどこだったかいなあというロマンを求める歩きなんよ。
- 木曽駒
私の子供の頃も、布製のテントだったよ!(それもつい最近まで!!)
今はバイパスやトンネルで改良された道も最初は峠越えのカーブだらけの未舗装の道だったね。
妹や弟は後部座席で車酔いしてたなぁ~~。
私はけっこうそういうダートな道好きでした。
今は交通量も減って、紅葉時期などけっこう穴場で静かな道だね。
安房トンネル開く前の安房峠。
今年の秋通ってみたけど、静かでいい道でした。
こういう道を懐かしむのも、私たち大人の世界ですね。
今はバイパスやトンネルで改良された道も最初は峠越えのカーブだらけの未舗装の道だったね。
妹や弟は後部座席で車酔いしてたなぁ~~。
私はけっこうそういうダートな道好きでした。
今は交通量も減って、紅葉時期などけっこう穴場で静かな道だね。
安房トンネル開く前の安房峠。
今年の秋通ってみたけど、静かでいい道でした。
こういう道を懐かしむのも、私たち大人の世界ですね。
2011.12.07 Wed 14:06 URL [ Edit ]
- ぜいぜい
☆駒ちゃん
私たちは大人だから、同じ景色を見ても、過去と現在ってふたつの景色が見えるんだよね。
この楽しみだけは、私たちの特権だよね。
私たちは大人だから、同じ景色を見ても、過去と現在ってふたつの景色が見えるんだよね。
この楽しみだけは、私たちの特権だよね。
ん? - とち
>どこが50年やねん、40数年や。
あんましかわらんでぇ~~。
あんましかわらんでぇ~~。
2011.12.08 Thu 23:34 URL [ Edit ]
- ぜいぜい
☆とちちゃん
>あんましかわらんでぇ~~。
微妙な違いに生きがい感じるのが大人やでぇ~(爆
>あんましかわらんでぇ~~。
微妙な違いに生きがい感じるのが大人やでぇ~(爆
TrackBack
TrackBackURL
→ http://zeizei.blog5.fc2.com/tb.php/688-02b9799d
→ http://zeizei.blog5.fc2.com/tb.php/688-02b9799d
| Home |