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高野山

2017.03.31
長谷寺からつづき

念願がかなって高野山へ、わくわくとはまた違う凛とした心持だ。

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祈りとしての山、巡礼の山、修行の山、そして今なお空海のおわす山。
キリスト教徒やイスラム教徒、ヒンドゥー教のように、日本人は聖地という認識が薄い。(オタクの聖地は除く)
私個人もそうであり、高野山に行くまでは、半分は観光気分であったことは否めない。

しかし、ひとたびその聖域に触れた時、敵味方もない、仏対人の真摯な交わりを感じた。
仏に向かい一心に般若心経や真言を唱える人に胸を打たれ、すべての仏教徒に門戸を開く。

おりしもお彼岸の中日であった。そして翌日はお大師様ご入定の日にあたる。

高野山は大きく3つの聖域に分かれる。
修行の場としての根本伽藍、総本山としての金剛峯寺、弘法大師御廟である奥の院からなる。

始めに根本伽藍へ
中門をくぐり、広い伽藍に圧倒される。

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カメラを車に忘れて再スタートはご愛敬、その間に相方が六角経蔵をガラガラしてました。
私も負けじにガラガラします。

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金堂では中に入ることができる。
昭和に再建されたもので、薬師如来を中心とした堂内は、浄土宗のお寺とはまた違った密教の神具が置かれ
中々に興味深い。

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御影堂では朝のお勤めであろう声明があたりにしんと伝わる。(トップ写真)
清々しく、そして外からも、一心に経文を唱える人。
同行二人、常に弘法大師と共にある人、信仰の心とひたむきさに胸が熱くなる。

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山王院、御社入口

御影堂を後に三鈷の松の所である女性に声を掛けられた。
珍しい3本松葉を拾っては道行く人に分けてくださっていた。
いわれをその時はよくわからなくて、「幸せになれますよ」とありがたく頂いてきた。
喜捨とはまた違うかもしれないけど、こうしてここを訪れた人々に幸せのおすそ分けをしている奇特な方だった。

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根本大塔はS12年の再建で、外壁の塗り替えはH8年に完成している。
真新しい建物は内部もきらびやかで、平安の人々と同じ状況の伽藍を見ているのだなと思うと感慨深い。
すばらしい立体曼陀羅だと感じる。ここにも祈りの人が。。。

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大会堂、三昧堂、東塔をへて池を回って駐車場に戻る。
相方の足が終了しているので、金剛峯寺の駐車場まで移動する。ここまでの駐車場は無料です。

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金剛峯寺、高野山真言宗の総本山であるが、もともとは秀吉が母の菩提を弔うために建立したもので、江戸時代に再建される。
内部を拝観することができる。ここでもお接待の精神は脈々と受け継がれて、新別殿でお茶とお菓子のお接待があり、
ありがたい法話もあり、海外からの観光客も通訳付きで耳を傾けている。
お接待の方々が自然で温かく、こちらもまた温かい気持ちになる。

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駐車場への帰り道、横断歩道で待っていた僧侶に車が止まると、その後ろのおバカな車がうるさくクラクションを鳴らす。
僧侶は自身の世界の中で手を合わせ経文を唱え、俗世のことわりには関わらない。
前の車は諦めて発進させ、後ろの車もまた続く。車がいなくなったところで僧侶が渡った。
どうとるかは人それぞれであるけど、私にはこれが修行の世界なのだなと感じた。

またまた車で奥の院口に向かう。こちらの駐車場は有料。
一の橋を渡って供養塔や墓地の中を進む。
戦国武将たちは、今は過去を流して、供養塔の中でともに過ごす。何とも不思議な光景だ。

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姿見の井戸で自身の姿が映されて一安心。いよいよ奥の院弘法大師御廟だ。
数々の祈りの人を見つめ、最後は自身の祈りだった。

九度山につづく
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