栗原川
2016.06.21
2016.6.19(日)
/
場所:群馬県利根町(栗原川林道追貝より)
形態:沢登り
標高差:380m(栗原川林道までの登り含む)
メンバー:相方、長男、ぜいぜい
コースタイム:前日20:15自宅~老神温泉多目的広場22:50/6:25~栗原川林道沢下降地点7:10/7:35~入渓8:00~
岩塚ノ滝8:30~源公平9:50~源公ノ滝10:00~大膳ノ滝11:40/11:50~下降して昼食12:00/13:35~右岸枝沢13:40~
円覚址(沢解除)14:45/15:00~円覚線停車場跡15:10~栗原川林道15:40~下降地点P16:45(ラスト1/3あたりで車にひろって頂く)

大膳ノ滝1段目10m クリックでウェブアルバムにリンクします
クリックOK


場所:群馬県利根町(栗原川林道追貝より)
形態:沢登り
標高差:380m(栗原川林道までの登り含む)
メンバー:相方、長男、ぜいぜい
コースタイム:前日20:15自宅~老神温泉多目的広場22:50/6:25~栗原川林道沢下降地点7:10/7:35~入渓8:00~
岩塚ノ滝8:30~源公平9:50~源公ノ滝10:00~大膳ノ滝11:40/11:50~下降して昼食12:00/13:35~右岸枝沢13:40~
円覚址(沢解除)14:45/15:00~円覚線停車場跡15:10~栗原川林道15:40~下降地点P16:45(ラスト1/3あたりで車にひろって頂く)

大膳ノ滝1段目10m クリックでウェブアルバムにリンクします

山ひとつ栃木側に越えた先が足尾銅山であった。
四国の別子銅山とならんで、日本の近代化を牽引していった銅山で、光と影二つの歴史を背負って今は歴史の中に眠る。
栗原川林道のできるずっと以前、皇海山西部の栗原川流域と泙川(たにがわ)流域の広大な地域は根利山と呼ばれ、
足尾銅山への木材の一大供給地として発展し、集落には当時数千人の人々の暮らしがあった。
砥沢事業所
それぞれの集落は都合5本の索道で繋がれ、事業所の置かれた砥沢に木材を集中して、足尾の銀山平へと索道の本線で運ばれた。

索道の支柱
足尾鉱業所の衰退にともなって、この木材供給会社である根利林業所もここでの役目を終え、集落ともどもこの地から忽然と姿を消した。
チェーンソウなどないこの時代、木は1本1本人の手で切り倒され、
木屋と呼ばれる高い技術を持った職能集団は、木曽や十津川からの職人も多かった。
索道を使って東京からの新聞はその日の夕方には砥沢に届くという、当時まだ上越線は沼田までしか通っていなかった時代
追貝よりもよほど文化度は高かったという。(高桑信一、古道巡礼より)
今回遡行した栗原川の流域には、当時の面影を残す集落の跡がひっそりと残り、
いずれは当時切り尽くされた森の、また再生されたその森によって飲み込まれようとしていた。
ここで生まれ育ちここが故郷であった人々の谷間の故郷は、遠い遠い記憶の彼方へと消える運命を思うと何やら切ない気もした。
S14年8月、大方の木材を切り尽くして根利林業所のその役目を終えた。
45年後のS59年12月、30有余年という長い年月をかけて、栗原川林道の開通をみた。
******************************************************
前泊した老神温泉多目的広場は、トイレあり静かで、ホタル舞う格好の泊まり場となった。
R120より栗原川林道は皇海山への案内板に導かれて迷うことはなかった。
松ゾリ沢に掛かる橋の次の大きなカーブの空きスペースが、今日下る支尾根の基点となる。
沢支度をしていると、後続の車がわざわざ止まって、「すぐそこの林道に熊が歩いていましたよ」とありがたく忠告をしてくれた。
気を引き締めての尾根の下りは、まっすぐに下ると崖に阻まれるので、左手に進路を取りながら、薄い踏み跡を拾っていく。
岩場の右手を回りこんで嫌いなトラバースを経て、そろそろ沢が見えてくると、降りやすい所を探しながらなんなく入渓。
水量は少なそうだけど、川面が美しい色合いだ。


30分程で岩塚ノ滝(10m)に到着、川幅いっぱいに広がった滝場は、中々勇壮でその大きさに圧倒される。
ここは左岸に歩きやすい踏み跡があり、どうやら植林地のようです。

人と比べるとその大きさがわかります。

岩塚ノ滝をこえると、そこは素晴らしいナメ地帯が続いた。
渓畔林の緑はあくまでも柔らかくやさしく色を添えていた。




これは、索道か林鉄の橋脚の跡かだが、下流域に林鉄のレールの残骸のあったこと、
資料では欅沢より林鉄の軌道が栗原川を渡っていることから、林鉄の橋脚の可能性が高いと思う。

ここは沢歩きだけでは完結できない歴史のタイムトンネルだ。

右岸には、源公平の集落跡が現れた。
円覚線で繋がれたここも、広い範囲で住居の石垣跡が残り、往時をしのばせる。
沢筋を利用して索道と山道で繋がれて点在した集落跡は、よくぞこんな所にと思う猫の額ほどの場所で、
よくぞ水害やがけ崩れの被害を免れたものだと感心する。

沢はなにやら釜ノ沢のような様相で、斜面の岩は白くて脆く崩れやすい。

源公ノ滝(5m)は、青く吸いこまれそうな入り込んだら抜け出せないような深い釜を擁して、一抹の不安さえ感じてしまう滝場だ。
当時、ここの住んでいた子どもたちは、本当にこの滝場で遊んだのかな?


4m滝場、大釜が有るので左から

前衛の小さな段差の先に5mの滝場は、三筋に流れを落として優美です。
ここは、右が行けそうに見えるけれど、沢先輩が上で行き詰まったとあったので、あっさりと左岸から簡単に巻いてしまった。

沢はゴーロ、ナメと繰り返して、巨岩帯に入っていく。


そして、大膳ノ滝前衛の6mが現れる。ちょっといやらしい感じの左を行くが、その上にやさしい巻道もあって、
帰路のクライムダウンを避けて、右岸巻道が利用できた。

ここを越えればいよいよ大膳ノ滝、1段目10m(トップ写真)
やさしく遡行するのなら、大概はここで終了となる。ここから先ゴルジュはエキスパートの世界。
二段目(7m)、3段目(18m)と続いて、不動沢には円覚ノ滝(不動滝)50m、本流には五段ノ滝30mが続く。

滝を堪能してぜいぜい家はすごすごと引き返します。
6mを下り、帰路登って行く右岸の枝沢をもう少し下って、薪のいっぱいあるところで昼食です。
肉を焼き、飯盒でご飯を焚いて、ゆる沢はこうでなくっちゃね。



お腹もくちくなった所で、これからが本当の試練というのか、核心部というのか、
いよいよ右岸の枝沢を円覚址に向かって這い登ります。少し登ると腐ったスリングの垂れ下がっている涸れ棚で
この棚を越えた先がルートのようですが、さすがに危うい涸れ棚を越える気はおこらず左のガレを登ると
微妙にルートが違う感じ、でも涸れ棚のルートに降りるのが何とも怖くて、結局大分登ったのに降りれず
涸れ棚の上まで戻って、何とも頼りない細枝にスリングで確保して、恐る恐る涸れ棚の上に降ります。
涸れ棚の先には、右俣が黒っぽい苔でヌルヌルした水流のほとんどない滝を落としています。
そこからガレ沢型をひ~ひ~90m登って、右手の尾根に上がります。少し登るとかすかにトラバースの踏み跡があって
やがて枝沢の右俣の上流らしき所で沢解除します。少し先が円覚線停車場跡でした。

わかりにくいですが、左手が支沢入口 円覚線停車場跡
すこく分かりにくいですがこの先ワイヤーで行き止まりな所から左手尾根に登っていきます。
すぐの岩の所にトラロープがあり、その先はジグを切って尾根を登る踏み跡が続きます。


円覚ノ滝(不動滝)50m落口
尾根を170m登ってやっと林道にたどり着きました。いやあ、きついです。
さらにここから駐車地点まで5kmの道のりを歩いていきます。
最後1/3あたりで、ご親切な方に拾ってもらい、駐車地点まで送って頂きました。感謝


振り返れば、とても良い沢が遡行できたなと満足でした。
まだまだ、こんな秘めたる沢があるのだなあと喜びでもありました。
***覚え書き***
・老神温泉多目的広場はトイレあり、静かで車中泊に最適
・老神温泉 東明館にて日帰り入浴(¥600)、やや鉄分を含んだ単純硫黄温泉、源泉かけ流しです。
ここでは食事もできます。旅館の食堂ですが、バーミアン風中華レストランで なんといっても安い、味もまあまあ。
三人で食べて、私は生ビールも飲んで¥2000でお釣りきます。
四国の別子銅山とならんで、日本の近代化を牽引していった銅山で、光と影二つの歴史を背負って今は歴史の中に眠る。
栗原川林道のできるずっと以前、皇海山西部の栗原川流域と泙川(たにがわ)流域の広大な地域は根利山と呼ばれ、
足尾銅山への木材の一大供給地として発展し、集落には当時数千人の人々の暮らしがあった。


それぞれの集落は都合5本の索道で繋がれ、事業所の置かれた砥沢に木材を集中して、足尾の銀山平へと索道の本線で運ばれた。

索道の支柱
足尾鉱業所の衰退にともなって、この木材供給会社である根利林業所もここでの役目を終え、集落ともどもこの地から忽然と姿を消した。
チェーンソウなどないこの時代、木は1本1本人の手で切り倒され、
木屋と呼ばれる高い技術を持った職能集団は、木曽や十津川からの職人も多かった。
索道を使って東京からの新聞はその日の夕方には砥沢に届くという、当時まだ上越線は沼田までしか通っていなかった時代
追貝よりもよほど文化度は高かったという。(高桑信一、古道巡礼より)
今回遡行した栗原川の流域には、当時の面影を残す集落の跡がひっそりと残り、
いずれは当時切り尽くされた森の、また再生されたその森によって飲み込まれようとしていた。
ここで生まれ育ちここが故郷であった人々の谷間の故郷は、遠い遠い記憶の彼方へと消える運命を思うと何やら切ない気もした。
S14年8月、大方の木材を切り尽くして根利林業所のその役目を終えた。
45年後のS59年12月、30有余年という長い年月をかけて、栗原川林道の開通をみた。
******************************************************
前泊した老神温泉多目的広場は、トイレあり静かで、ホタル舞う格好の泊まり場となった。
R120より栗原川林道は皇海山への案内板に導かれて迷うことはなかった。
松ゾリ沢に掛かる橋の次の大きなカーブの空きスペースが、今日下る支尾根の基点となる。
沢支度をしていると、後続の車がわざわざ止まって、「すぐそこの林道に熊が歩いていましたよ」とありがたく忠告をしてくれた。
気を引き締めての尾根の下りは、まっすぐに下ると崖に阻まれるので、左手に進路を取りながら、薄い踏み跡を拾っていく。
岩場の右手を回りこんで嫌いなトラバースを経て、そろそろ沢が見えてくると、降りやすい所を探しながらなんなく入渓。
水量は少なそうだけど、川面が美しい色合いだ。





30分程で岩塚ノ滝(10m)に到着、川幅いっぱいに広がった滝場は、中々勇壮でその大きさに圧倒される。
ここは左岸に歩きやすい踏み跡があり、どうやら植林地のようです。


人と比べるとその大きさがわかります。

岩塚ノ滝をこえると、そこは素晴らしいナメ地帯が続いた。
渓畔林の緑はあくまでも柔らかくやさしく色を添えていた。






これは、索道か林鉄の橋脚の跡かだが、下流域に林鉄のレールの残骸のあったこと、
資料では欅沢より林鉄の軌道が栗原川を渡っていることから、林鉄の橋脚の可能性が高いと思う。

ここは沢歩きだけでは完結できない歴史のタイムトンネルだ。


右岸には、源公平の集落跡が現れた。
円覚線で繋がれたここも、広い範囲で住居の石垣跡が残り、往時をしのばせる。
沢筋を利用して索道と山道で繋がれて点在した集落跡は、よくぞこんな所にと思う猫の額ほどの場所で、
よくぞ水害やがけ崩れの被害を免れたものだと感心する。

沢はなにやら釜ノ沢のような様相で、斜面の岩は白くて脆く崩れやすい。


源公ノ滝(5m)は、青く吸いこまれそうな入り込んだら抜け出せないような深い釜を擁して、一抹の不安さえ感じてしまう滝場だ。
当時、ここの住んでいた子どもたちは、本当にこの滝場で遊んだのかな?



4m滝場、大釜が有るので左から


前衛の小さな段差の先に5mの滝場は、三筋に流れを落として優美です。
ここは、右が行けそうに見えるけれど、沢先輩が上で行き詰まったとあったので、あっさりと左岸から簡単に巻いてしまった。


沢はゴーロ、ナメと繰り返して、巨岩帯に入っていく。



そして、大膳ノ滝前衛の6mが現れる。ちょっといやらしい感じの左を行くが、その上にやさしい巻道もあって、
帰路のクライムダウンを避けて、右岸巻道が利用できた。

ここを越えればいよいよ大膳ノ滝、1段目10m(トップ写真)
やさしく遡行するのなら、大概はここで終了となる。ここから先ゴルジュはエキスパートの世界。
二段目(7m)、3段目(18m)と続いて、不動沢には円覚ノ滝(不動滝)50m、本流には五段ノ滝30mが続く。

滝を堪能してぜいぜい家はすごすごと引き返します。
6mを下り、帰路登って行く右岸の枝沢をもう少し下って、薪のいっぱいあるところで昼食です。
肉を焼き、飯盒でご飯を焚いて、ゆる沢はこうでなくっちゃね。



お腹もくちくなった所で、これからが本当の試練というのか、核心部というのか、
いよいよ右岸の枝沢を円覚址に向かって這い登ります。少し登ると腐ったスリングの垂れ下がっている涸れ棚で
この棚を越えた先がルートのようですが、さすがに危うい涸れ棚を越える気はおこらず左のガレを登ると
微妙にルートが違う感じ、でも涸れ棚のルートに降りるのが何とも怖くて、結局大分登ったのに降りれず
涸れ棚の上まで戻って、何とも頼りない細枝にスリングで確保して、恐る恐る涸れ棚の上に降ります。
涸れ棚の先には、右俣が黒っぽい苔でヌルヌルした水流のほとんどない滝を落としています。
そこからガレ沢型をひ~ひ~90m登って、右手の尾根に上がります。少し登るとかすかにトラバースの踏み跡があって
やがて枝沢の右俣の上流らしき所で沢解除します。少し先が円覚線停車場跡でした。


わかりにくいですが、左手が支沢入口 円覚線停車場跡
すこく分かりにくいですがこの先ワイヤーで行き止まりな所から左手尾根に登っていきます。
すぐの岩の所にトラロープがあり、その先はジグを切って尾根を登る踏み跡が続きます。



円覚ノ滝(不動滝)50m落口
尾根を170m登ってやっと林道にたどり着きました。いやあ、きついです。
さらにここから駐車地点まで5kmの道のりを歩いていきます。
最後1/3あたりで、ご親切な方に拾ってもらい、駐車地点まで送って頂きました。感謝



振り返れば、とても良い沢が遡行できたなと満足でした。
まだまだ、こんな秘めたる沢があるのだなあと喜びでもありました。
***覚え書き***
・老神温泉多目的広場はトイレあり、静かで車中泊に最適
・老神温泉 東明館にて日帰り入浴(¥600)、やや鉄分を含んだ単純硫黄温泉、源泉かけ流しです。
ここでは食事もできます。旅館の食堂ですが、バーミアン風中華レストランで なんといっても安い、味もまあまあ。
三人で食べて、私は生ビールも飲んで¥2000でお釣りきます。
Comment
- おくがけど
町名からして当然、利根川水系だよね。さすがに本流遡行は打って変わって迫力あるっす♪
いいなぁ~ひろたさんエリアは、私も通いたいぐらいです。
いいなぁ~ひろたさんエリアは、私も通いたいぐらいです。
2016.06.23 Thu 00:16 URL [ Edit ]
- ぜいぜい
☆おくがけちゃん
利根川から尾瀬に向かう片品川へと向かって、更に片品川から皇海山に向かう栗原川になります。
利根川本流は矢木沢ダムをへて、上越国境へとさらに登りますね。
隠れた名沢だったようで、ここ数年でにわかにレポが出てくるようになりました。
ここから上流部は先月だったか、ひろたさんが遡行されてましたよ。
いや、ほんとに美しい沢でした。
利根川から尾瀬に向かう片品川へと向かって、更に片品川から皇海山に向かう栗原川になります。
利根川本流は矢木沢ダムをへて、上越国境へとさらに登りますね。
隠れた名沢だったようで、ここ数年でにわかにレポが出てくるようになりました。
ここから上流部は先月だったか、ひろたさんが遡行されてましたよ。
いや、ほんとに美しい沢でした。
- takeshi
お疲れ様でした。
栗原川・・・メジャーになっちゃいましたね。。。
「S14年8月、大方の木材を切り尽くして根利林業所のその役目を終えた。」
それから75年くらいでここまで木々が蘇るって自然の力はスゴイですね。
栗原川・・・メジャーになっちゃいましたね。。。
「S14年8月、大方の木材を切り尽くして根利林業所のその役目を終えた。」
それから75年くらいでここまで木々が蘇るって自然の力はスゴイですね。
- ぜいぜい
☆ takeshiさん
この日も泊まりも含めて5パーティ位いたみたいですね。
「その空の下で」の影響力は相当なものだと思われます!
私はずっと以前に「古道巡礼」を読んでいた時に、小田倉沢や津室沢の方ばかり研究していて、こっちの沢は全然スルーだったんです。
多分、当時記録はほとんどなかったかもなのですが。。。
木々のサイクルの逞しさには、本当に感動しますね。
足尾の方には公にされない堆積場が20以上もあるそうです。
どの位の年数をへれば元通りになるのでしょう。悩ましいですね。
この日も泊まりも含めて5パーティ位いたみたいですね。
「その空の下で」の影響力は相当なものだと思われます!
私はずっと以前に「古道巡礼」を読んでいた時に、小田倉沢や津室沢の方ばかり研究していて、こっちの沢は全然スルーだったんです。
多分、当時記録はほとんどなかったかもなのですが。。。
木々のサイクルの逞しさには、本当に感動しますね。
足尾の方には公にされない堆積場が20以上もあるそうです。
どの位の年数をへれば元通りになるのでしょう。悩ましいですね。
- sawakaze
ぜいぜいさんこんにちは!
先日、栗原川砥沢、十林班沢を歩いた帰りにぜいぜいさんを車に載せたようです。このブログを見て気付きました。ぜいぜいさんの「弱気のブログ」をいつも楽しく拝見しています。車に乗せた人がぜいぜいさんだとは、思いませんでした。
「沢の風と空」のsawakazeです。
先日、栗原川砥沢、十林班沢を歩いた帰りにぜいぜいさんを車に載せたようです。このブログを見て気付きました。ぜいぜいさんの「弱気のブログ」をいつも楽しく拝見しています。車に乗せた人がぜいぜいさんだとは、思いませんでした。
「沢の風と空」のsawakazeです。
2016.07.18 Mon 15:09 URL [ Edit ]
- ぜいぜい
☆sawakazeさん こんにちは!
ブログのコメントに気づくのが遅れてしまい、申し訳ありません。
先だっての栗原林道でトボトボ二人組をお拾いくださったのが
なんと尊敬する「沢の風と空」のsawakazeさんだったとは
お礼もろくにできず、うれしい限りでございます。
その節は本当にお世話になりました。
膝に爆弾なので、どれほどうれしかったかです。
相方は、「沢臭いんだから遠慮しろ」みたいに降車後言われ、そう言えば申し訳なかったなと。。。
「沢の風と空」の「皇海山紀行」「沢を歩く」のエッセーにも感銘をうけ、
お返事する手立てはないものかなと、ちょっとHPを探しましたが気づきませんでした。
この場で、素晴らしいエッセーであったことお知らせいたします。
ブログのコメントに気づくのが遅れてしまい、申し訳ありません。
先だっての栗原林道でトボトボ二人組をお拾いくださったのが
なんと尊敬する「沢の風と空」のsawakazeさんだったとは
お礼もろくにできず、うれしい限りでございます。
その節は本当にお世話になりました。
膝に爆弾なので、どれほどうれしかったかです。
相方は、「沢臭いんだから遠慮しろ」みたいに降車後言われ、そう言えば申し訳なかったなと。。。
「沢の風と空」の「皇海山紀行」「沢を歩く」のエッセーにも感銘をうけ、
お返事する手立てはないものかなと、ちょっとHPを探しましたが気づきませんでした。
この場で、素晴らしいエッセーであったことお知らせいたします。
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