2020年08月の記事一覧
2020.08.12 父の認知症
父の認知症
2020.08.12
ついにこの日が来たか
というのが偽らぬ感想だった。
昨年あたりから、随分と食べるようになったなとは感じていた。
とんかつとか平気で1枚ペロリと平らげていたし、ご飯も私達と同じ量を食べていた。
食が細くなってくるのが普通だから、食べれることはいいことだと思っていたし
健康な証拠だと信じていた。
それが段々と、自分の分では足りなくて、私達の方にまで手を延ばしてくるようになって
初めてこれはおかしいなと思い始める。
感情的にもおかしいと感じたことがある。
本来は悲惨な事故などのニュースにゲラゲラと声をあげて笑う。
特に人が転んだり倒れたシーンがとても楽しい?おもしろいらしい。
お笑いのドタバタか何かと勘違いしているのだろう。
はじめは「そこ笑うところじゃないよ」
と言ってもきょとんとしていた。
父は90歳を当に越えている。
年齢の割には丈夫だし、介護のお世話にもなっていない。
それは私が自宅にいるからでもあるし、当人は70歳まで健康に働いていた賜物とも思う。
そしてそれは突然やってきた。
7月中ごろに、言葉にならない言葉を話し始めて
辻褄のあわないことを言い、聞く耳は持たなくなった。
日頃、どちらかと言えば温和なタイプだったので、その変化にまず驚いた。
生活もおかしくなってきた。
便座を上げないで用を足し、うっかり濡れた便座に腰かけて悲鳴をあげてしまう。
風呂の後、着替えを用意しておいてもそれを着ない。
そして、クロゼットの中をめちゃめちゃにかき回して、冬用のウールの下着を夏用の下着の上に着るという暴挙にでた。
もちろんパッチもだ。
「暑いから脱いで」と言った時に初めて「うるせぇ!」と言われる。
こんな暴言を言われたことはなかったので、ほんとうに悲しく、父はどうしてしまったのだろうと心折れる日々だ。
これからこんな風になっていった父と適度に距離をとりながら付き合っていかなければいけない。
子供ならかわいいし、義務とか感じないのに、父親に対しては少しの嫌悪感もある。
それがどういった感情なのかはうまくは表せないけれど、
いままで庇護されてきた親が、庇護する立場に変わってしまったとまどいなのだろうか。
というのが偽らぬ感想だった。
昨年あたりから、随分と食べるようになったなとは感じていた。
とんかつとか平気で1枚ペロリと平らげていたし、ご飯も私達と同じ量を食べていた。
食が細くなってくるのが普通だから、食べれることはいいことだと思っていたし
健康な証拠だと信じていた。
それが段々と、自分の分では足りなくて、私達の方にまで手を延ばしてくるようになって
初めてこれはおかしいなと思い始める。
感情的にもおかしいと感じたことがある。
本来は悲惨な事故などのニュースにゲラゲラと声をあげて笑う。
特に人が転んだり倒れたシーンがとても楽しい?おもしろいらしい。
お笑いのドタバタか何かと勘違いしているのだろう。
はじめは「そこ笑うところじゃないよ」
と言ってもきょとんとしていた。
父は90歳を当に越えている。
年齢の割には丈夫だし、介護のお世話にもなっていない。
それは私が自宅にいるからでもあるし、当人は70歳まで健康に働いていた賜物とも思う。
そしてそれは突然やってきた。
7月中ごろに、言葉にならない言葉を話し始めて
辻褄のあわないことを言い、聞く耳は持たなくなった。
日頃、どちらかと言えば温和なタイプだったので、その変化にまず驚いた。
生活もおかしくなってきた。
便座を上げないで用を足し、うっかり濡れた便座に腰かけて悲鳴をあげてしまう。
風呂の後、着替えを用意しておいてもそれを着ない。
そして、クロゼットの中をめちゃめちゃにかき回して、冬用のウールの下着を夏用の下着の上に着るという暴挙にでた。
もちろんパッチもだ。
「暑いから脱いで」と言った時に初めて「うるせぇ!」と言われる。
こんな暴言を言われたことはなかったので、ほんとうに悲しく、父はどうしてしまったのだろうと心折れる日々だ。
これからこんな風になっていった父と適度に距離をとりながら付き合っていかなければいけない。
子供ならかわいいし、義務とか感じないのに、父親に対しては少しの嫌悪感もある。
それがどういった感情なのかはうまくは表せないけれど、
いままで庇護されてきた親が、庇護する立場に変わってしまったとまどいなのだろうか。
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