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日々のぜいぜい

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の記事一覧

完訳日本奥地紀行 1

2017.10.31
今読んでいる完訳日本奥地紀行 イザベラ・バートが面白い。
目が今よくないので、さっさと読めないのだけど、全4巻の1巻目。
明治11年(1878年)イギリス人女性が日本人通訳を伴って、
多分外国人女性で初めて単身で蝦夷地まで旅行する記録で

日本の風景や街並みの描写も細やかでおもしろいのだけど、
外国人から見た、明治時代の日本人の風俗というのがとても興味深い。
日本人だけの社会にいたら、中々その特性と本質はわからないものだから。

特に1巻で面白かったのが、明治の結婚している農村の成人男子のこと。
明治の男なんて家長制度でいばっていてというのが、いままでの私の認識だったけれど
ここに出てくるお父さんたちは6時には起きて、小さな子供をおぶったり抱いたりして
そんなお父さんが集まって、子供自慢が始まる。
そして朝食後仕事に出かけ、仕事から帰ると、今まで子供の子守をしていた女の子たちは
(多分)解放されて、またお父さんたちが外に連れ出して子守とか子供自慢とかする。
なにこのイクメンぶりって!
小さな子供たち(特には男の子)は特に大事にされている様子がよくわかる。

日本の父親はいつの時代から、こんなにも子育てから離れていったのだろうと
興味深い。
仕事のきつさでいったら、明治時代と今でも変わらずハードなはずで
それでも明治時代の農村のお父さんはとてもイクメンだ。
やはり、諸外国と戦争をする様になって家庭は女が守るものという考えが定着していったのだろうか?

ならば戦争のない今、国も企業も個人の意識も明治時代以前の農村のお父さんのように
子供を育てていく環境や意識に戻してもいいんじゃないのかなと、ふと考えた。
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山の仕事、山の暮らし

2011.12.16
沢をやる人なら、高桑信一さんは山岳雑誌などの記事でなじみの方も多いでしょう。
その高桑さんによる、山を生活の糧としている人々の暮らしぶりの物語りです。
登山道を歩いていたら気づかない、山中にひっそりと現れるそんな場所が彼らのフィールドです。

奥只見、会津、檜枝岐、越後の山中と人里の途絶えた山深い中で、
それはゼンマイ採りであったり、炭焼きであったり、狩猟であったり、山椒魚採りであり、また蜂飼いであったりする。
趣味としてではない生業としての厳しさをひしひしと感じるが、また、楽しみにも見える。

自然のバランスがちょっと崩れたり、また自身の体力の衰えによってもそこでぷつっと途絶えてしまうだろう
仕事のレッドデータブックといったらいいだろうか。

雑誌に連載されていたのが1993~2002年であれば、その当時高齢であったこの登場人物たちの仕事は
今はすでに途絶えてしまったかもしれない。
そんなはかなさを思う時、この本は重い。

他にも冬の尾瀬小屋を守る人、仙人池ヒュッテの女主人、山岳ガイド、志水のてっちゃんなどの物語も興味深いです。



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邂逅の森

2011.11.22
山や森をフィールドとして遊ぶ自分にとってとても興味深い本だ。

山は誰のものなのだろう。
何を言っているのだ、私有地は所有者のもので、国有林、県有林は国、自治体の所有財産だ。
当たり前のことを聞くんじゃないと。
本当にそうなのだろうか。そこに住まう動物達、幾多の植物、そこに蓄えられる豊富な水。
それらにとって、そんな線引きなど無用なものだ。
いや、そこに生きるもの存在するものすべて所有者のものだ。
人はそう言い切るのだろう。
それはあくまでも人間側の論理であって、そこに生きているものたちにすれば、やはりその論理は通用しないものだと。

邂逅(かいこう)の森
うまいタイトルをつけたものだと、人との邂逅、自然との邂逅。。。


聖職の碑(せいしょくのいしぶみ)

2011.09.07
聖職者と聞くと誰を思い浮かべるかは、その生まれた年代によって隔たりがあるだろう。
私たちより古い年代は、たぶん宗教家よりはより身近に教師がそうであった。(今もそうであると願う)
どんなに尊敬し命を救ってくれる医師や消防隊員の仕事でも聖職とは言わない。
親の手を離れ、右も左もわからないひよこから多感な時期、そして大人の入り口までの長い時間を教え導いてくれる存在。
親の手だけでは成し得ない長い道のりの先導者として、知識を教え込むだけではなく人生の師ともなる大人。

私の通っていた中学は県内でも屈指のやんちゃ中学だった。
修学旅行の際は、新幹線の車両の前後に公安が張った。もちろんグループ見学なんかなし。
高校に入学した時に、出身中学を聞かれると、一歩どころか五歩も十歩も引かれた。
そんなとんでも学校でも子供達は先生を尊敬し、時に恐怖した。授業妨害なんてあり得ない時代だった。
対外的には荒れていたけれど(喧嘩上等ってやつね)、学校内は穏やかだった(女子的にはね)
やんちゃっ子達は、ある意味学校を愛していたと思う。その縄張りを侮辱されると許せないのだ。
挙句が殴り込みみたいな形を取ってしまう、余りにも無垢で単純だった。

後の同窓会(中学の教室)で当時流行っていた金八先生の話になった。
担任は「金八先生はだめだ」と言っていた。
クラスメート達は、その時先生に反発した。大いに議論したように思ったけど、
今思えばそんな綺麗事じゃないんだと言いたかったのだろうなあ。
そして、私たちをちょっぴり大人として扱ってくれたのだろうなあと。
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